昭和35年頃:千歳川流域-概要【札幌開発建設部】治水100年
石狩川流域誌 支川編
昭和35年頃(昭和35年~昭和54年頃) 千歳川流域 概要
千歳川流域の開発 「臨空工業地帯とベッドタウン」
飛行場と鉄道の「千歳線」、国道36号が交わる千歳川流域に、昭和46年、北海道初の高速自動車道「道央自動車道(千歳~北広島間)」が開通した。54年には「札幌南~北広島間」が開通して、千歳から札幌までつながった。交通は一層早く、便利になり、流域に工業団地とともに住宅団地が造成された。昭和50年の国勢調査で、北広島は人口増加率(128.4%)全国2位になり、昭和45年には恵庭は市制を施行し、千歳川流域は飛躍を遂げる。発展は一方で、新たな水源の開発を必要とし、多目的ダム・漁川ダムの建設が49年からはじまっていた。
昭和54年からは「支笏湖氷濤まつり」がはじまった。「支笏湖ブルー」と呼ばれる湖水でつくられた碧い氷像は脚光を集め、今では約30万人を集める冬イベントに成長した。
昭和54年からは「支笏湖氷濤まつり」がはじまった。「支笏湖ブルー」と呼ばれる湖水でつくられた碧い氷像は脚光を集め、今では約30万人を集める冬イベントに成長した。
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支笏湖氷濤まつり
(石狩振興局蔵・いしかりの風景より)