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昭和35年頃:豊平川流域-歴史のひとこま【札幌開発建設部】治水100年

石狩川流域誌 支川編

昭和35年頃(昭和35年~昭和54年頃) 豊平川流域 歴史のひとこま

  • タイトル

図書館にもなった時計台のあゆみ

昭和三十六年、「札幌市時計台」が市の
文化財第一号に指定された。
札幌一の観光名所は、
さまざま施設に転用された歴史を持つことは、
あまり知られていない—

図書館から時計台へ

札幌市時計台は明治44年に図書館として開館したが、戦時下では旧日本軍の北部軍施設になったことも。昭和41年に札幌市立図書館が北2条西12丁目に新設されるまで、市民の教育・文化の中心施設として利用された。なお札幌市立図書館は「札幌市中央図書館」に改称され、旧北海道教育大学の跡地の現住所に開設された。
時計台は、昭和36年に札幌市指定文化財の指定を受け、42年から演武場として復元された。昭和45年に国指定重要文化財に指定、平成8年は「日本の音風景百選(当時の環境庁)」に選ばれ、現在は資料館・ホールとして活用されている。有島武郎の「星座」をはじめ、多くの作家・詩人達が作品のなかで時計台についてふれたが、時計は鳩時計と同じ振り子時計だ。澄んだ鐘の音色はかつて一里四方に響きわたったといわれ、今もその音は変わらない。札幌の象徴となった時計台の音色は、今日も時を告げている。

*参考資料/札幌市の公式観光サイト・札幌市時計台(旧札幌農学校演武場)、札幌市時計台のあゆみ
  • 明治14年、時計台を据え付けた演武場 明治14年、時計台を据え付けた演武場

演武場から図書館へ

明治11年、現在の北2条西2丁目付近に札幌農学校(現・北海道大学)の演武場が建設された。札幌農学校は、北海道開拓の指導者を養成する目的で開校し、演武場は2階が学生の兵式訓練や心身を鍛える体育館など、1階は研究室や講義室、標本展示室などに使われた。この建物はウィリアム・スミス・クラークの後を継いで教頭になった、ウィリアム・ホイラーによって構想され、「演武場」と書かれた木額は、明治維新の立役者・岩倉具視(いわくらともみ)によるもの。当時最もふさわしい名と、いわれたという。
意外にも完成時には時計はなく、黒田清隆開拓使長官の発案で設置が決まった。ホイラーはアメリカのハワード社に注文したが、サイズが大きすぎたため演武場を改修して設置された。明治36年に札幌農学校が現在地に移転すると、時計台は札幌に移管され現在地に移された。

*参考資料/札幌市の公式観光サイト・札幌市時計台(旧札幌農学校演武場)、札幌市時計台のあゆみ
  • 毎日、たくさんの観光客が記念撮影をする現代の時計台 毎日、たくさんの観光客が記念撮影をする現代の時計台

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