現在位置の階層

  1. トップページ
  2. 河川計画課
  3. 札幌開発建設部 治水事業
  4. 【札幌開発建設部】石狩川治水100年
  5. 【札幌開発建設部】治水100年
  6. 昭和35年頃:石狩川上流域-産業【札幌開発建設部】治水100年

昭和35年頃:石狩川上流域-産業【札幌開発建設部】治水100年

石狩川流域誌 支川編

昭和35年頃(昭和35年~昭和54年頃) 石狩川上流域 産業

  • タイトル

〈この時代の産業の状況〉

旭川は昭和41年、「旭川木工センター」が造成され工場の集団化が図られた。また流通の近代化や合理化を目的に、西永山地区に「旭川流通団地」も造成された。一方で、東神楽に旭川から、旭川家具工場などが移るようになり、田園に囲まれた工業地と住宅街が誕生した。また観光開発も進められた。石狩川上流域の景勝地、上川の層雲峡温泉地区に昭和42年、黒岳五合目までのロープウェイが開通した。手軽に大雪の四季を楽しめ、層雲峡観光の魅力を一層深めた。
また層雲峡への通過点に過ぎなかった旭川も、高砂台地区にゴルフ場が、東鷹栖地区の突硝山(とっしょざん)に「男山自然公園」が造成された。そして「旭山動物園」が昭和42年に開園し、旭川をとりまく周辺の丘陵地が開発され、観光誘致の大きな支えになった。
*参考資料/旭川市史

旭川商人と買物公園

明治時代に鉄道の「上川線」「十勝線」「天塩線」が開通すると、「旭川商人」と呼ばれた商工業者は積極的に地方に進出した。自らの目で選んだ商品を仕入れ、また遠隔地の小売商に売る問屋や卸売業者も現れ、旭川商業は活気にあふれた。大正に入ると、小樽や函館の商人が支えてきた北海道経済の一角に旭川も加わるようになった。
日本軍の第7師団が駐屯し軍都として名をはせた頃、「師団通」と呼ばれた旭川駅から師団までのメインストリートは、太平洋戦争終結の年、平和への願いを込めて「平和通」に改称された。47年には、車社会に対する「人間性の回復」を目的に、ゆっくり歩きながら買い物を楽しめる、全国初の恒久的な歩行者天国「平和通買物公園」が誕生した。今では夏まつりや冬まつりなど催しの舞台にもなり、人々の笑顔にあふれる通りになった。
参考資料/旭川市史、旭川市・こうほう旭川市民8月号
  • 昭和47年、買物公園オープン 昭和47年、買物公園オープン

    (旭川市蔵)

現在位置の階層

  1. トップページ
  2. 河川計画課
  3. 札幌開発建設部 治水事業
  4. 【札幌開発建設部】石狩川治水100年
  5. 【札幌開発建設部】治水100年
  6. 昭和35年頃:石狩川上流域-産業【札幌開発建設部】治水100年