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昭和55年頃:豊平川流域-概要【札幌開発建設部】治水100年

石狩川流域誌 支川編

昭和55年頃(昭和55年~平成8年頃) 豊平川流域 概要

  • タイトル

豊平川流域の開発 「再開発と第3次産業」

札幌北区のあいの里地区にニュータウンが誕生した。教育大学も移された文教都市で、鉄道の札沼線が「学園都市線」として新駅も開業し、ニュータウンのアクセスに活躍している。市内では工場移転と農地転用が一層進み、麻生や琴似、桑園、菊水など古くからの市街地は再開発が進められた。
昭和63年、青函トンネルが開通して鉄道一本で札幌と本州各都市とがむすばれた。同年、札幌駅の高架化が完成して踏切の渋滞が解消、北口の再開発で駅直結のショッピングシティも誕生した。
バブル期には市内にホテルが競うように建設され、サービス業が増えていき、札幌の産業構造は第3次産業へ大きく傾いていく。札幌市はこの産業構造の改革に、「札幌テクノパーク」を厚別地区に造成した。エレクトロニクス関連の工業団地は国内初の試みで、成功を収める。さらに真駒内地区に、全国初の映像・音楽・美術関連の集積地「アートヴィレッジ」を造成し、テレビゲームソフトで世界に知られるようになる道産子企業「ハドソン」も進出した(後に本社を東京に移す)。その影で、創成川以東など歴史深い工業地帯は、石狩湾新港や恵庭などの近隣への工場移転が相次ぎ、商業地や住宅地に姿を変えていった。
*参考資料/新札幌市史
  • パシフィック・ミュージック・フェスティバルの会場でもある「札幌芸術の森」 パシフィック・ミュージック・フェスティバルの会場でもある「札幌芸術の森」

    (札幌広域圏組合・PMF組織委員会蔵)

  • YOSAKOIソーラン祭り YOSAKOIソーラン祭り

    (石狩振興局蔵・いしかりの風景写真)

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