1 石狩川河口橋・石狩川(河口)渡船場【札幌開発建設部】治水100年
石狩川治水に係わる主な事業
1 石狩川河口橋・石狩川(河口)渡船場
動く国道と呼ばれた渡船と全道一長い橋
その名のとおり、石狩川最下流に架けられた全道一長い石狩川河口橋は、完成までに長い時間を費やした。大河だけに河口の川幅は約1,500mにもおよび、しかも地盤は軟弱。橋を架けたくても技術的にも予算的にもむずかしかった。この広大な河口を渡る移動手段として大活躍したのが、「石狩川(河口)渡船場」だ。
石狩川河口は明治以前からサケ漁で栄え、人々は渡船を利用していた。昭和30年には、石狩川(河口)渡船場を含む「道道札幌~留萌線」が国道231号に昇格し交通量が急増した。渡船の管理も町営から国営になり、最盛期の昭和46年頃には1日平均4,000人以上、車両1,500台以上を運んだ。時代は車社会をむかえ、石狩市や国道231号沿線の市町村からは橋を望む声が高まった。こうして昭和42年に工事がはじまり、47年に一部が通行可能になると、石狩川(河口)渡船場は国営から町営にもどり利用者も減っていった。
生振築堤の整備で橋の長さも1,412.7mになり、斜張橋「石狩川河口橋」は、昭和51年に完成した。人々でにぎわった渡船場もその役割を終えた。
石狩川河口は明治以前からサケ漁で栄え、人々は渡船を利用していた。昭和30年には、石狩川(河口)渡船場を含む「道道札幌~留萌線」が国道231号に昇格し交通量が急増した。渡船の管理も町営から国営になり、最盛期の昭和46年頃には1日平均4,000人以上、車両1,500台以上を運んだ。時代は車社会をむかえ、石狩市や国道231号沿線の市町村からは橋を望む声が高まった。こうして昭和42年に工事がはじまり、47年に一部が通行可能になると、石狩川(河口)渡船場は国営から町営にもどり利用者も減っていった。
生振築堤の整備で橋の長さも1,412.7mになり、斜張橋「石狩川河口橋」は、昭和51年に完成した。人々でにぎわった渡船場もその役割を終えた。
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茨戸川方向から石狩川河口橋を望む
(石狩川振興財団蔵)
昭和35年頃
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海水浴に出かける小学生で賑う渡船場
(「いしかり渡船場物語」石狩町郷土研究会より)
所在地
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一般国道231号
(石狩市船場町〜北生振)