2 生振捷水路【札幌開発建設部】治水100年
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石狩川治水に係わる主な事業
2 生振捷水路
石狩川治水の大きな一歩となった捷水路
石狩川の治水方針は、曲がりくねった蛇行(だこう)部分をカットして、直線的な流れに修正する「捷水路方式」が採用され、計画流量約4,170m3/秒を流すことを目標に、石狩川最下流から上流へ、まず5つの捷水路工事が進められることになった(1区)。
大正7年、石狩川ではじめて着手された「生振捷水路」は、石狩川捷水路のなかで最長(3,655m)で、開通までに14年を要した。新水路の掘削は、陸上は掘削機エキスカベータ、水中はポンプ式浚渫(しゅんせつ)船という、いずれも最新の大型機械が投入された。機械の補修や工事資材を製造する治水工場がつくられ、工事関係者のために商店や床屋、芝居小屋まである通称「生振治水市街地」が一事的にできた。また、新水路右岸には「香取神社」を創建して工事の安全を願うとともに、慰霊祭も行われた(現在は石狩八幡神社に合祀)。
こうして昭和6年に生振捷水路は完成、通水時には石狩川の江別地点の水位が1mも下がって、係留中の外輪船・上川丸が陸に浮いたという。捷水路のはじまりの地には「石狩川治水発祥之地碑」が建っている。その後、上流へと進む捷水路事業の道しるべのように。
大正7年、石狩川ではじめて着手された「生振捷水路」は、石狩川捷水路のなかで最長(3,655m)で、開通までに14年を要した。新水路の掘削は、陸上は掘削機エキスカベータ、水中はポンプ式浚渫(しゅんせつ)船という、いずれも最新の大型機械が投入された。機械の補修や工事資材を製造する治水工場がつくられ、工事関係者のために商店や床屋、芝居小屋まである通称「生振治水市街地」が一事的にできた。また、新水路右岸には「香取神社」を創建して工事の安全を願うとともに、慰霊祭も行われた(現在は石狩八幡神社に合祀)。
こうして昭和6年に生振捷水路は完成、通水時には石狩川の江別地点の水位が1mも下がって、係留中の外輪船・上川丸が陸に浮いたという。捷水路のはじまりの地には「石狩川治水発祥之地碑」が建っている。その後、上流へと進む捷水路事業の道しるべのように。
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平成14年度土木学会選奨・土木遺産に認定
(石狩川開発建設部蔵)
明治43年頃
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花畔治水工場
(札幌河川事務所蔵)
所在地
- 石狩市生振~札幌市北区あいの里堺