31 幌向運河・馬追運河【札幌開発建設部】治水100年
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石狩川治水に係わる主な事業
31 幌向運河・馬追運河
今も残る土木価値の高い内陸運河
石狩川の中下流には泥炭湿地が広がり、馬車が通るような頑丈な道路はつくることができなかった。そのため明治25年から、道路の代わりに物資を運び、土地を乾燥させる効果のある運河を、石狩川流域につくることになった。「北海道四大運河」と呼ばれたこの運河のなかで、2つが千歳川流域だ(他は札幌・茨戸間運河、花畔・銭函間運河)。
南幌町の幌向運河と長沼町の馬追運河は、夕張川(旧夕張川)を軸に開削された。幌向運河は夕張川から取水し、市街を通って旧江別川(千歳川)に至る。国の登録有形文化財に指定された「旧幌向駅逓所」は、運河の船着場に開所され旅人の宿泊などに利用された。馬追山の山根排水から取水し、市街を通って夕張川(旧夕張川)に至る馬追運河は、長沼の市街地発生の基礎になった。運河には、流れの高さが違う水路を行き来するための閘門(こうもん)という、いわば水のエレベーターが北海道ではじめて採用された。閘門の水を使って米を白くする「精白」業も営まれるなど、両運河は地域経済の発展に貢献した。
そして幌向運河は大排水として、馬追運河は河川に昇格し、今も健在なのだ。
南幌町の幌向運河と長沼町の馬追運河は、夕張川(旧夕張川)を軸に開削された。幌向運河は夕張川から取水し、市街を通って旧江別川(千歳川)に至る。国の登録有形文化財に指定された「旧幌向駅逓所」は、運河の船着場に開所され旅人の宿泊などに利用された。馬追山の山根排水から取水し、市街を通って夕張川(旧夕張川)に至る馬追運河は、長沼の市街地発生の基礎になった。運河には、流れの高さが違う水路を行き来するための閘門(こうもん)という、いわば水のエレベーターが北海道ではじめて採用された。閘門の水を使って米を白くする「精白」業も営まれるなど、両運河は地域経済の発展に貢献した。
そして幌向運河は大排水として、馬追運河は河川に昇格し、今も健在なのだ。
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江別から物資を運ぶ帆船
(長沼町蔵)
開拓初期
- 南幌の中心部を通る現在の幌向運河
所在地
- 幌向運河(南幌町)・馬追運河(長沼町)