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58 浦臼沼【札幌開発建設部】治水100年

石狩川治水に係わる主な事業

58 浦臼沼

急速に進んだ石狩川の 自然短絡

新沼同様に、石狩川のかつての蛇行(だこう)部で、石狩川が自ら流れを変えて切り離された河跡湖(三日月湖)だ。
明治8年に作成された「北海道石狩川図」(ジェームス・R・ワッソン等)を基にして、明治42年までの34年間の自然河道の変化をみると、浦臼沼の蛇行部は明治41年に切り離されたことがわかる。石狩川のこのような急速な短縮が自然に行われたのか、あるいは開拓の進展や大洪水によるものなのかは明らかではないが、明治33年から38年までに、深川から河口までの河岸の崩落が年々進み、年平均崩落面積は約44.7haだったと「石狩川治水計画調査報文」に記されている。とても不安定な河道だった。明治7年から昭和60年までの間に、自然に短縮された長さは16.2キロメートルになる(捷水路による短縮は58.1キロメートル)。
かの坂本龍馬の甥・坂本直寛が、明治30年に家族とともに北側に移り住んだ浦臼沼は、新沼同様、今はマガンなど渡り鳥の重要な中継地で、農業用水にも利用されている、石狩川の壮大な自然遺産のひとつだ。
  • 写真、左上が浦臼沼 写真、左上が浦臼沼

    (石狩川開発建設部蔵)

開拓初期
  • 浦臼町の新沼と浦臼沼の変遷 浦臼町の新沼と浦臼沼の変遷

    (捷水路より)

所在地
  • 浦臼町浦臼内 浦臼町浦臼内

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