59 砂川捷水路【札幌開発建設部】治水100年
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石狩川治水に係わる主な事業
59 砂川捷水路
29番目の最後の 捷水路
石狩川の捷水路事業は、昭和16年から「月形~深川間」の3区の工事が着手された。この時期までに、下流の捷水路工事はすべて着手され、ほぼ通水した段階だった。そのなかで空知川合流点下流の砂川捷水路事業は、むずかしいものだった。
その蛇行(だこう)は、石狩川と空知川合流点から約4km下流に、S字に大きく曲がりくねる。そのうえ地形は、デルタと扇状地の中間にあたるため、流路は絶えず変化するという状況だった。このため捷水路工事ではめずらしく、移動床による模型実験を行った。
砂川捷水路は、昭和2年からの第2期拓殖計画ですでに計画されていたが、捷水路予定地に水田が広がり、移転に同意が得られない状況がつづいた。しかし昭和36・37年に連続して洪水が発生し、砂川市と新十津川町が多大な被害を受けたことから、昭和39年から着工され44年に通水した。その長さは3,000m、S字の部分には第1、第2の新水路が掘削され、貫くように捷水路が完成した。生振捷水路から上流へ進められた石狩川捷水路事業は、この砂川捷水路の完成ですべて成し遂げられたのだ。
その蛇行(だこう)は、石狩川と空知川合流点から約4km下流に、S字に大きく曲がりくねる。そのうえ地形は、デルタと扇状地の中間にあたるため、流路は絶えず変化するという状況だった。このため捷水路工事ではめずらしく、移動床による模型実験を行った。
砂川捷水路は、昭和2年からの第2期拓殖計画ですでに計画されていたが、捷水路予定地に水田が広がり、移転に同意が得られない状況がつづいた。しかし昭和36・37年に連続して洪水が発生し、砂川市と新十津川町が多大な被害を受けたことから、昭和39年から着工され44年に通水した。その長さは3,000m、S字の部分には第1、第2の新水路が掘削され、貫くように捷水路が完成した。生振捷水路から上流へ進められた石狩川捷水路事業は、この砂川捷水路の完成ですべて成し遂げられたのだ。
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砂川捷水路工事 昭和43年頃
(石狩川振興財団蔵)
昭和35年頃
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昭和44年頃
(石狩川治水史より)
所在地
- 新十津川町花月周辺~砂川オアシス