69 渡船と石狩川橋【札幌開発建設部】治水100年
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石狩川治水に係わる主な事業
69 渡船と石狩川橋
人々を渡した渡船と橋の歴史
明治22年、北海道から遠く離れた奈良県吉野郡十津川村に大洪水が発生した。翌23年、家や土地を流された被災者は石狩川を渡って、トック原野に集団で入地した。こうして新十津川というまちができた。移住民が滝川との間を流れる、石狩川を渡るために利用したのが渡船だ。右岸(新十津川側)では「新波止場渡船」、左岸(滝川側)では「59号渡船」と呼ばれた民間運営の渡船だ。後に官設になったが、明治35年に住民の要望で石狩川橋が架けられたため廃止された。しかし、新十津川菊水地区から滝川に出るのは遠回りになることから、依然渡船の利用度は高く、新十津川は営業をつづけた。その後、バスの運行とともに利用者は減少し、昭和25年9月に廃止された。
石狩川橋は北海道初の鋼トラス道路橋で、昭和37年の2代目に架け替えられるまで、半世紀にもわたって使われた。しかし、鉄橋といえども橋桁は木製で、重い車が通るようになると補修が頻繁になった。そうなると、また渡船の出番である。当時の新聞にも、「石狩川橋の修理が長期間になる場合は渡船が運航したと」と書かれていた。
石狩川橋は北海道初の鋼トラス道路橋で、昭和37年の2代目に架け替えられるまで、半世紀にもわたって使われた。しかし、鉄橋といえども橋桁は木製で、重い車が通るようになると補修が頻繁になった。そうなると、また渡船の出番である。当時の新聞にも、「石狩川橋の修理が長期間になる場合は渡船が運航したと」と書かれていた。
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石狩川橋の改修で渡船が運航された。昭和17年、新十津川町
(石狩川振興財団蔵)
昭和35年頃
所在地
- 滝川市有明~新十津川町中央