68 空知大滝【札幌開発建設部】治水100年
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石狩川治水に係わる主な事業
68 空知大滝
語源になった由緒ある滝
空知の語源は、アイヌ語の「ソーラプチ・ベツ=滝が・ごちゃごちゃ落ちている・川」に由来し、空知大滝のことを差している。北海道を内陸まで踏査した幕末の探検家・松浦武四郎も、空知川調査でこの滝を見て、その様子を「石狩日誌」にスケッチを交えて残している。
「此辺川中へ七、八間に狭りしが、此上十弐条に併びし瀑布の何れも高二丈、三丈位幅は二尺、三尺より一丈余まで有を見たり。爰にて川巾七、八十間に広まり、其東岸千畳敷とも云平岩有て此所に止宿と定む」
松浦によると、むかしの空知大滝は12条に分かれ、高さは約6~9m、幅は狭いところで約60~90センチメートル、広いところで約3m余もある、まさに大滝だったという。白亜紀の堆積岩類が分布するところに空知大滝はあり、風化や侵食などが進行して、弱い部分が削り取られた結果、凸凹が拡がって現在の滝の形になったものと考えられている。 また滝里ダムの下流にあるため、ダム放流時は水量が多くなり、当時のような迫力ある大滝になる(ダム放流時は危険ですので近寄らないように、十分ご注意ください)。
「此辺川中へ七、八間に狭りしが、此上十弐条に併びし瀑布の何れも高二丈、三丈位幅は二尺、三尺より一丈余まで有を見たり。爰にて川巾七、八十間に広まり、其東岸千畳敷とも云平岩有て此所に止宿と定む」
松浦によると、むかしの空知大滝は12条に分かれ、高さは約6~9m、幅は狭いところで約60~90センチメートル、広いところで約3m余もある、まさに大滝だったという。白亜紀の堆積岩類が分布するところに空知大滝はあり、風化や侵食などが進行して、弱い部分が削り取られた結果、凸凹が拡がって現在の滝の形になったものと考えられている。 また滝里ダムの下流にあるため、ダム放流時は水量が多くなり、当時のような迫力ある大滝になる(ダム放流時は危険ですので近寄らないように、十分ご注意ください)。
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大正2年の空知大滝
(星の降る里百年記念館蔵)
開拓初期
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ダム放流時の現在の空知大滝
(滝里ダム管理支所蔵)
所在地
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芦別市滝里町