67 北海頭首工【札幌開発建設部】治水100年
ページ内目次
石狩川治水に係わる主な事業
67 北海頭首工
空知川の水を日本最長の 水路におくる
石狩川左岸を水田地帯にしようと、有志達が「空知川潅漑(かんがい)溝期成会」を組織したのは、明治42年のことだ。空知川を水源に、砂川以南の岩見沢(北村・栗沢含む)・三笠・南幌までの約80キロメートルを流下する、北海幹線用水路が完成したのは昭和4年だった。
かんがい用水は、空知川の水をせきとめる施設・空知川頭首工から取水されている。建設地は赤平市内の空知川左岸で、将来的に流路が安定していることなどから適地になり、大正13年から工事がはじまった。農業施設の工事は、農作業がはじまる前の冬期間に行われる場合が多く、導水門の工事も冬に行われたという。
頭首工は固定堰(せき)と可動堰の構造で当時は画期的だったが、時間の経過とともに課題も出てきたことから、昭和32年からの国営かんがい排水事業美唄地区で改修されることに。既存施設を生かしながら、川の半分を締め切って行われた工事は41年に完了した。幅32.50mの全可動堰、高さ1.80mのゲート3門からなり、名称も『北海頭首工』に改められた。ここから、日本一長い水の路に毎秒42tの水が送られ、空知平野をうるおしつづける。
かんがい用水は、空知川の水をせきとめる施設・空知川頭首工から取水されている。建設地は赤平市内の空知川左岸で、将来的に流路が安定していることなどから適地になり、大正13年から工事がはじまった。農業施設の工事は、農作業がはじまる前の冬期間に行われる場合が多く、導水門の工事も冬に行われたという。
頭首工は固定堰(せき)と可動堰の構造で当時は画期的だったが、時間の経過とともに課題も出てきたことから、昭和32年からの国営かんがい排水事業美唄地区で改修されることに。既存施設を生かしながら、川の半分を締め切って行われた工事は41年に完了した。幅32.50mの全可動堰、高さ1.80mのゲート3門からなり、名称も『北海頭首工』に改められた。ここから、日本一長い水の路に毎秒42tの水が送られ、空知平野をうるおしつづける。
-
昭和41年改修後
(北海土地改良区蔵)
開拓初期
-
昭和26年改良後
(北海土地改良区蔵)
所在地
- 赤平市住吉町