75 深川市街堤【札幌開発建設部】治水100年
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石狩川治水に係わる主な事業
75 深川市街堤
発展する市街を洪水から守る
明治22年の上川道路(現・国道12号)の開通で駅逓が置かれ(第2美英舎)、華族組合農場が雨竜に設立されたことなどから、北空知の中核都市・深川の開拓がはじまった。しかし石狩川は毎年のように氾濫し、開拓者を苦しめた。明治31年洪水後、深川市街の8、9丁目沿いにわずかな堤防が築かれたという。また34年洪水後は水害復旧費などで、一巳地区の5丁目あたりまで護岸工事が行われ、市街を守る努力がつづけられた。
そして石狩川の本格的な治水となる、明治43年からの「第一期拓殖計画」のなかに滝川・旭川とともに、深川の市街堤が盛り込まれた。深川市街堤は市街を囲む堤防で、政府の財政の都合で、昭和9年からようやく着手された。11年に竣工し、市街地と一巳地区の洪水被害の軽減に効果を発揮し、今も整備が進められている(深川築堤)。昭和50年からの石狩川の環境整備事業に合わせ、深川市は野球場やサッカー場、花壇や芝生広場などを整備し、健康増進や憩いの場として利用されている。また堤防の強化も目的に桜が植樹され(桜づつみ事業)、春になると川辺は薄紅色に彩られる。
そして石狩川の本格的な治水となる、明治43年からの「第一期拓殖計画」のなかに滝川・旭川とともに、深川の市街堤が盛り込まれた。深川市街堤は市街を囲む堤防で、政府の財政の都合で、昭和9年からようやく着手された。11年に竣工し、市街地と一巳地区の洪水被害の軽減に効果を発揮し、今も整備が進められている(深川築堤)。昭和50年からの石狩川の環境整備事業に合わせ、深川市は野球場やサッカー場、花壇や芝生広場などを整備し、健康増進や憩いの場として利用されている。また堤防の強化も目的に桜が植樹され(桜づつみ事業)、春になると川辺は薄紅色に彩られる。
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現在の深川市街と石狩川
(札幌開発建設部蔵)
明治43年頃
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石狩川河川敷には桜が植えられている
(滝川河川事務所蔵)
所在地
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石狩緑地・深川市緑町など