74 六戸島背割堤【札幌開発建設部】治水100年
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石狩川治水に係わる主な事業
74 六戸島背割堤
背割堤で合流点を下流に付け替えた
背割堤は、流れの異なる2つの河川の合流をなめらかにすることなどを目的に、2つの川の間に設けられる。
石狩川と雨竜川の合流部は、洪水時に石狩川の高い水位の影響を受けていたため、江部乙第2・六戸島捷水路の通水で流路は固定されたが、さらに河道を安定させるため六戸島背割堤を建設して、合流点を下流に付け替えることにした。雨竜川の水位低下に効果があり、雨竜川支川の大鳳川流域(下芽生地区)の洪水被害を軽減させるとともに、合流点に位置する右岸の雨竜町と左岸の滝川市江部乙町の洪水対策も兼ねていた。
1,600mにおよぶ背割堤の工事は昭和42年から進められたが、若き技術者の卵達の、「働きつつ学ぶ」実践の場にもなった。民間技術者養成のために昭和36年に創設された「北海道産業開発青年隊」が、昭和42年から工事に加わったのだ。早期完成と、開発青年隊の実技取得のためにスクレープドーザー(メンク)などの機械が導入され、合流点一連の計画のひとつ、北伏古新水路の通水を待って昭和49年に完成した。
石狩川と雨竜川の合流部は、洪水時に石狩川の高い水位の影響を受けていたため、江部乙第2・六戸島捷水路の通水で流路は固定されたが、さらに河道を安定させるため六戸島背割堤を建設して、合流点を下流に付け替えることにした。雨竜川の水位低下に効果があり、雨竜川支川の大鳳川流域(下芽生地区)の洪水被害を軽減させるとともに、合流点に位置する右岸の雨竜町と左岸の滝川市江部乙町の洪水対策も兼ねていた。
1,600mにおよぶ背割堤の工事は昭和42年から進められたが、若き技術者の卵達の、「働きつつ学ぶ」実践の場にもなった。民間技術者養成のために昭和36年に創設された「北海道産業開発青年隊」が、昭和42年から工事に加わったのだ。早期完成と、開発青年隊の実技取得のためにスクレープドーザー(メンク)などの機械が導入され、合流点一連の計画のひとつ、北伏古新水路の通水を待って昭和49年に完成した。
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石狩川と雨竜川の合流部から上流1.6kmの背割堤
(石狩川開発建設部蔵)
昭和35年頃
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六戸島背割堤
所在地
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滝川市江部乙町~雨竜町中島周辺