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開拓初期:石狩川右岸流域-暮らし・社会2【札幌開発建設部】治水100年

石狩川流域誌 支川編

開拓初期(明治初期~明治42年頃) 石狩川右岸流域 暮らし・社会

  • タイトル

全国最大の集治監

集治監は萩の乱や西南戦争などで急に増えた政治犯などを収容するため、明治時代に全国につくられた。北海道の集治監は開拓のため、囚人は農業とともに土木工事の労力とされた。長期刑の囚人が収容され、刑務所長は典獄(てんごく)と呼ばれた。
後に初代典範に就き、町名になる月形潔は、候補地の一つ「シベツブト(現・月形)」を樺戸山から見分する。背後に樺戸連山、前には石狩川が流れる自然の要塞(ようさい)で、土地も農耕に適している。有珠・後志山麓、十勝と比べて最も適地とされ、明治14年、東京・宮城につづき「樺戸集治監」が月形に開監した。以降、囚人により農地が拓かれ、道路や橋がつくられていった。また郵便局や病院が建てられ、月形は道内でも「札幌か、月形か」といわれるほど先進的なまちへと発展した。
一方、月形に戸長役場が置かれても、行政権は典獄が握り、明治22年には樺戸、雨竜、上川の郡長と樺戸警察署長を兼ねるなど、その力は絶大だった。しかし入植者が増え農村地区が発展していくと、拒絶する声が多くなり、大正8年に廃監になった。円山公園には、明治23年の開庁10周年の記念に囚人が植えた杉林がつづく。また中腹には8人の全典獄の記念碑があり、監獄のまちという特殊な歴史を今に伝えている。
*参考資料/月形町史、浦臼町史
  • 明治19年に再建された樺戸集治監の本庁舎 明治19年に再建された樺戸集治監の本庁舎

坂本龍馬の志を継ぐ

浦臼町にある「坂本家の墓」(浦臼町蔵)
坂本龍馬の甥で坂本直(高松太郎)の弟・坂本直寛は、キリスト教による開拓を目指す「北光社農場」を北見に開き、自ら社長に就いて開拓をはじめた。しかし武市安哉の急死を受けて1年ほどで去り、家族とともに浦臼に移った。坂本直寛は高知で自由民権運動に参加して代議士になった。若い頃から全国を遊説して回り、将来を大いに期待されていたが33歳の時に洗礼を受け、北海道に渡ってからは各地を飛び回ってキリスト教伝道に尽くし、明治44年に札幌で没した。
坂本直寛を頼りに浦臼に移住したのは、坂本龍馬の養子の坂本直の妻・留と息子・直衛だった。坂本直はつねに龍馬とともに行動した海援隊の中心人物で、王政復古後は函舘裁判所(現・函館)の権判事に就いたこともあった。その後、坂本直と名乗り、明治新政府では宮内省などに務めるが、辞職して直寛の家に同居しながらキリスト教を信仰した。直の死去後、妻子は直寛を頼って浦臼に移り、駄菓子屋で生計を立てながら浦臼に生きつづけた。坂本家ゆかりの品々は、「浦臼町郷土資料館」に展示されている。
*参考資料/浦臼町史

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