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知床横断道路

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知床横断道路

知床横断道路を走るオートバイ
 北海道の最東北端位置する半島が知床半島です。「羅臼と宇登呂を結ぶ道路が欲しい」、この願いは明治時代から産業開発のため叫ばれ、明治40年6月、四代目植別村(現羅臼町)戸長(村長職)山口子敬を含む一行7名により、岩尾別~羅臼間の踏査を5日間を要し行った探検記録があります。
 
 この知床半島の中央を横断する通称「知床横断道路」は昭和38年に開発市町村道ウトロ羅臼線として指定され、その後昭和47年に一般道道に、昭和50年には羅臼町市街から宇登呂を経て斜里町市街に至る路線の国道昇格に伴い、その一部に包含されました。 
 一般国道334号の総延長は68.8kmで、そのうち知床横断道路は羅臼町市街から斜里町字岩尾別(主要道道知床公園線交点)までの27.3kmで、大半が知床国立公園及び国有保安林を通過しています。
 両町を結ぶ唯一の道路として宇登呂側は昭和38年度、羅臼側は昭和39年度より着工し、以来18年間を要して昭和55年に開通しました。

 知床横断道路は、知床半島を南北に連ねる分水嶺で二分されており、特に羅臼側は急峻な地形の山岳地帯のため、気象変化が激しく、工事は容易ではありませんでした。
 なかでも、翔雲橋は自然環境保全のため大きな切土を避けて斜面に架設したもので、昭和47年に着工し、4年の歳月をかけて昭和50年に完成しました。

知床横断道路のあゆみ

1907(明治40)年 植別村(現羅臼町)の山口子敬戸長らが実地調査を行う。
1931(昭和6)年 網走、釧路両土木現業所長らが踏査を行う。
1943(昭和18)年 旧日本軍が北海道防衛のための山越えの道をつくる。
1955(昭和30)年 羅臼町が「羅臼宇登呂線道路」新設を北海道開発庁に陳情する。
1956(昭和31)年 羅臼町、斜里町合同で関係方面へ陳情する。
1959(昭和34)年 網走、釧路両開発建設部と羅臼町、斜里町で踏査を行う。
1963(昭和38)年 開発市町村道ウトロ羅臼線になる。
1964(昭和39)年 知床半島が国立公園に指定される。
1972(昭和47)年 一般道道宇登呂羅臼線になる。
1975(昭和50)年 国道334号に昇格する。
1980(昭和55)年 知床横断道路開通。
  • 開通に向けて除雪作業中の知床横断道路

    開通に向けて除雪作業中の知床横断道路

工事概要

路線名 一般国道334号(羅臼町~斜里町)
区 間 羅臼町温泉~斜里町字岩尾別
延 長 27.3km
規 格 3種4級
幅 員 1.0m~5.5m~1.0m(7.5m)
設計速度 40km/h
最小曲線半径 35m
最急縦断勾配 8.0%
横断勾配 2.0%
  • 翔雲橋 翔雲橋

工事概要略図

  • kouji-gairyaku

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