5 石狩放水路【札幌開発建設部】治水100年
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石狩川治水に係わる主な事業
5 石狩放水路
発展をつづける道都・札幌を水害から守る
「生振捷水路」の完成で本川と切り離された「茨戸川」は、「志美運河」で石狩川へ流れ込めるようになっている。
札幌市は昭和40年代から人口が急増し、茨戸川流域も宅地化が進んだ。一方、茨戸川は大雨や台風になると石狩川が増水して流れ込めなくなり、茨戸川流域に氾濫していた。そこで、志美運河に水門を設けるとともに、茨戸川の洪水を日本海へ直接流す「石狩放水路」の建設が進められた。大雨や台風で茨戸川が増水して氾濫の恐れがある場合にのみ、志美運河水門を閉じて、放水路を開けて洪水を速やかに日本海へ流すしくみだ。
工事は昭和51年からはじまって57年に完成したが、完成間近の昭和56年8月に記録に残る大洪水が発生した。茨戸川は最高水位に達して周辺地域に浸水が広がったため、完成前の石狩川放水路を緊急通水することが決められた。放水路の通水がはじまると、茨戸川の水位は低下して被害を軽減し、大きな効果をあげた。石狩川放水路が完成すると、茨戸川の水位は2.7m低下した。道都・札幌市を洪水から守る、都市型水害の切り札だ。
札幌市は昭和40年代から人口が急増し、茨戸川流域も宅地化が進んだ。一方、茨戸川は大雨や台風になると石狩川が増水して流れ込めなくなり、茨戸川流域に氾濫していた。そこで、志美運河に水門を設けるとともに、茨戸川の洪水を日本海へ直接流す「石狩放水路」の建設が進められた。大雨や台風で茨戸川が増水して氾濫の恐れがある場合にのみ、志美運河水門を閉じて、放水路を開けて洪水を速やかに日本海へ流すしくみだ。
工事は昭和51年からはじまって57年に完成したが、完成間近の昭和56年8月に記録に残る大洪水が発生した。茨戸川は最高水位に達して周辺地域に浸水が広がったため、完成前の石狩川放水路を緊急通水することが決められた。放水路の通水がはじまると、茨戸川の水位は低下して被害を軽減し、大きな効果をあげた。石狩川放水路が完成すると、茨戸川の水位は2.7m低下した。道都・札幌市を洪水から守る、都市型水害の切り札だ。
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茨戸川の洪水を直接日本海へ流す
(札幌河川事務所蔵)
昭和55年頃
- ふだんは穏やかな流れの石狩放水路
所在地
- 石狩市新港南1丁目~