7 当別捷水路【札幌開発建設部】治水100年
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石狩川治水に係わる主な事業
7 当別捷水路
生振捷水路の影響を受けて
生振捷水路のすぐ上流の当別捷水路は、大正13年に着工された。しかしながら、生振捷水路が大規模な工事ゆえに、当別捷水路の工事は生振捷水路の進み具合に左右される状況になった。大正14年の事業報文によると、生振捷水路の旧川を切り離す生振締切堤の盛土の土砂を運ぶことになり、工事の一時中断を余儀なくされた。しかし昭和6年に生振捷水路が完成し、水中から新水路を掘削する浚渫(しゅんせつ)船「昭和号」が当別捷水路に移され、本格的に工事は進んだ。捷水路の工事では、新水路を掘削した時に出る土砂は、堤防をつくる時の盛土などに活用される。大量の土砂は、線路を敷き20t機関車で運ぶ壮大な運搬方法がとられた。当別捷水路工事でも、昭和元年に当別川に仮橋が架けられ、当別太築堤のために運搬された。
アイヌ語で「トウペツ=沼から来る川」という意味の、町名を冠した当別捷水路は昭和8年に通水した。その長さは2.792キロメートル、1区では生振捷水路に次ぐ。この通水で、旧川・茨戸川の「上部湖盆」が誕生し、茨戸川は完全に石狩川から切り離された。
アイヌ語で「トウペツ=沼から来る川」という意味の、町名を冠した当別捷水路は昭和8年に通水した。その長さは2.792キロメートル、1区では生振捷水路に次ぐ。この通水で、旧川・茨戸川の「上部湖盆」が誕生し、茨戸川は完全に石狩川から切り離された。
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当別捷水路と茨戸川の上部湖盆
(石狩川開発建設部蔵)
明治43年頃
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20t機関車で土砂を運搬
(札幌河川事務所蔵)
所在地
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当別町ビトエ~札幌市北区あいの里
(札幌大橋下流)