15 岡﨑式単床ブロック【札幌開発建設部】治水100年
ページ内目次
石狩川治水に係わる主な事業
15 岡﨑式単床ブロック
海を越えたヨーカンブロック
石狩川治水の基本になる計画洪水流量を算出し、石狩川初の本格的な治水計画「石狩川治水計画調査報文」をまとめた岡﨑文吉は、石狩川治水事務所の初代所長に就き、画期的な護岸施工を開発し推進した。
当時の石狩川は毎年流れが変わり、開拓者が苦難の末に開いた農地を消失させていた。一方で石狩川は、物資を運ぶ重要な交通路でもあった。しかし洪水氾濫で発生した土砂は、船の航行を阻害した。このため岡﨑は、川のまがりくねったわん曲部の河道の欠壊を防ぐ、通称「ヨーカンブロック(岡﨑式単床ブロック)」と呼ばれる「コンクリート単床ブロック」を開発した。今までの工法に比べて経済性と強度、耐久性にすぐれ、河床の変形にも適応し、急なこう配箇所では安定性を発揮。しかも組立が簡単な、画期的ですぐれた発明だった。夕張川での試験工事を経て、明治43年から大正5年まで、現在の茨戸川の護岸に施工され、その後「生振捷水路」の大規模改修はじめ、本州の河川、遠くは中国満州の遼河やアメリカのミシシッピー川などで使われるなど、広く普及した。
当時の石狩川は毎年流れが変わり、開拓者が苦難の末に開いた農地を消失させていた。一方で石狩川は、物資を運ぶ重要な交通路でもあった。しかし洪水氾濫で発生した土砂は、船の航行を阻害した。このため岡﨑は、川のまがりくねったわん曲部の河道の欠壊を防ぐ、通称「ヨーカンブロック(岡﨑式単床ブロック)」と呼ばれる「コンクリート単床ブロック」を開発した。今までの工法に比べて経済性と強度、耐久性にすぐれ、河床の変形にも適応し、急なこう配箇所では安定性を発揮。しかも組立が簡単な、画期的ですぐれた発明だった。夕張川での試験工事を経て、明治43年から大正5年まで、現在の茨戸川の護岸に施工され、その後「生振捷水路」の大規模改修はじめ、本州の河川、遠くは中国満州の遼河やアメリカのミシシッピー川などで使われるなど、広く普及した。
-
大正13年頃撮影された「単床ブロック」
(札幌河川事務所蔵)
開拓初期
-
石狩川下流での組み立て
(石狩川振興財団蔵)
所在地
- 茨戸川観音橋付近