23 厚別川新水路【札幌開発建設部】治水100年
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石狩川治水に係わる主な事業
23 厚別川新水路
旧豊平川の洪水対策のために
豊平川の支川・厚別川の下流は、泥炭湿地帯が広がり、開発が進まなかった。一方、豊平川新水路の完成で本川と切り離された旧豊平川は、厚別川を合わせて江別市内を細かく曲がりくねって石狩川に注ぎ込んでいた。
しかし年々河床に土砂が堆積して流れが悪くなり、くわえて水位が増した石狩川が逆流し、洪水氾濫をたびたび起こしていた。周辺の江別角山地区には、昭和20年の東京大空襲で被災した世田谷から集団入植して農業に就いていたこともあり、旧豊平川の滞流水を豊平川新水路に落とすための新水路が、昭和24年から昭和29年にかけて開削された。この旧豊平川捷水路が、現在の厚別川の最下流となる(厚別川新水路)。
厚別川はその後、下流部を直線化し、かつて豊平川に合流していた野津幌川を切り替えて合流させる河川整備が昭和38年から行われた。この直線河道は厚別新川とも呼ばれる。旧豊平川捷水路や厚別川下流の直線化により、旧豊平川とその最下流だった世田豊平川は離され、厚別川と野津幌川は現在の流路になった。
しかし年々河床に土砂が堆積して流れが悪くなり、くわえて水位が増した石狩川が逆流し、洪水氾濫をたびたび起こしていた。周辺の江別角山地区には、昭和20年の東京大空襲で被災した世田谷から集団入植して農業に就いていたこともあり、旧豊平川の滞流水を豊平川新水路に落とすための新水路が、昭和24年から昭和29年にかけて開削された。この旧豊平川捷水路が、現在の厚別川の最下流となる(厚別川新水路)。
厚別川はその後、下流部を直線化し、かつて豊平川に合流していた野津幌川を切り替えて合流させる河川整備が昭和38年から行われた。この直線河道は厚別新川とも呼ばれる。旧豊平川捷水路や厚別川下流の直線化により、旧豊平川とその最下流だった世田豊平川は離され、厚別川と野津幌川は現在の流路になった。
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厚別川の下流は旧豊平川を豊平川に流す新水路
明治43年頃
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豊平川の捷水路計画(略図:大正5年)
所在地
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札幌市東区~江別市の厚別川下流