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47 狐森捷水路【札幌開発建設部】治水100年

石狩川治水に係わる主な事業

47 狐森捷水路

戦争で完成までに 10年を費やす

石狩川捷水路事業2区の、下流の上新篠津捷水路と上流の川上捷水路・枯木捷水路の、4つの捷水路は隣接しているが、着工年も通水年もそれぞれに違った。
狐森捷水路は上新篠津捷水路とともに、昭和15年4月から工事が着工された。掘削機1台、機関車1台で、600mの掘削と掘削土の運搬と堤防の盛土をはじめた。
昭和18年には、下流の上新篠津捷水路の浚渫を終えた浚渫船・北海号が投入され、水中での浚渫工事も着工された。しかし、19年5月に北海号は軍事工事に回される。戦後の23年になって、ようやく北海号が戻り浚渫を再開し、1,100mの捷水路は翌24年9月2日に通水した。戦争に左右された捷水路は、完成までに約10年を費やした。
捷水路が位置する地域は、かつて「狐森」と呼ばれ、北村発祥の地ともいえる。村名の由来になった、開拓者・北村雄治が石狩川沿いの狐森地区に入植し農場を開いた。すぐれた綿羊やホルスタインを飼育、品評会でも優秀な成績をおさめて、北村の名を全国に広めた。国による官設狐森渡船場(枯木渡船場)も置かれるなど、地域の重要な場だった。
  • 周辺は歴史ある農村がつづく 周辺は歴史ある農村がつづく

    (石狩川開発建設部蔵)

明治43年頃
  • 昭和28年頃の浚渫船・北海号の曳航の様子 昭和28年頃の浚渫船・北海号の曳航の様子

    (札幌シニアチャンバー蔵)

所在地
  • 岩見沢市北村北都周辺 岩見沢市北村北都周辺

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