52 幌向川新水路【札幌開発建設部】治水100年
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石狩川治水に係わる主な事業
52 幌向川新水路
石狩川から夕張川へ 合流させる
幌向川は、かつては幾春別川や清真布川などを合わせ、巴農場付近で石狩川の大きく曲がった蛇行(だこう)部に合流していた。支川の幾春別川は昭和16年から、新水路で合流点を幌向川から石狩川へ切り替える掘削工事が進められていた。そして幌向川も、石狩川から切り替えて夕張川に合流させる幌向川新水路計画がまとめられた。難点は泥炭地に約4キロメートルにもおよぶ新水路を開削するため、工期も長く予算も多くなることだったが、戦時中の食糧増産事業で水田開発が急がれ、農業事業(排水)と共同で進められることになった。
昭和18年、農業事業の土地改良事業として石狩川治水事務所が担当して、3,800m3を掘削した。この排水事業は「南2線幹線排水路」として、現在、幌向川新水路の左岸堤防内の排水路に位置している。
そして昭和24年、上流の幾春別川捷水路が通水し、幌向川新水路も昭和34年になって、ようやく着工され、昭和40年に通水した。その後、旧幾春別川合流点から上流側に第2・第3捷水路を掘削して切り離し、今日の流れが誕生した。
昭和18年、農業事業の土地改良事業として石狩川治水事務所が担当して、3,800m3を掘削した。この排水事業は「南2線幹線排水路」として、現在、幌向川新水路の左岸堤防内の排水路に位置している。
そして昭和24年、上流の幾春別川捷水路が通水し、幌向川新水路も昭和34年になって、ようやく着工され、昭和40年に通水した。その後、旧幾春別川合流点から上流側に第2・第3捷水路を掘削して切り離し、今日の流れが誕生した。
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はじめは農業の排水路工事だった
(石狩川開発建設部蔵)
昭和35年頃
- 捷水路で切り離された当時の幾春別川と幌向川
所在地
- 岩見沢幌向~江別市豊幌