53 幾春別川捷水路【札幌開発建設部】治水100年
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石狩川治水に係わる主な事業
53 幾春別川捷水路
はじまりは農民の 掘削から
幾春別川は、かつては幌向川に合流していた。戦時下の昭和17年になって、食糧増産と軍事輸送に使用されていた鉄道への浸水防止を目的に、幾春別川切替工事が計画された。洪水被害が多かった岩見沢は熱心に工事着工を陳情し、労働力についても協力するということで、幅2m・深さ2m程度の排水溝の掘削が行われた。この中央排水路工事は、昭和16年に起こった冷害救済策の一環として、冬期間を利用して農民が掘削したのがはじまりだった。
そして、幾春別川切替工事は翌17年から本格的なものになり、20年の完成を目指して、岩見沢の川向周辺から切り替えて北村の幌達布地区で石狩川に合流させる新水路の掘削が進められたが、終戦をむかえ中断した。沿川3,000戸の農家は、春の融雪期や夏の集中豪雨のたびにいつも被災していた。新水路の完成は悲願だった。
昭和21年に治水事業として幾春別川捷水路計画が確定、24年にようやく通水をみた。しかし軟弱地盤などのため、旧河道の締切はなかなかできず、河道の拡幅が完了した昭和36年に完全に切り離された。旧幾春別川と利根別川合流点から下流部は、利根別川になった。
そして、幾春別川切替工事は翌17年から本格的なものになり、20年の完成を目指して、岩見沢の川向周辺から切り替えて北村の幌達布地区で石狩川に合流させる新水路の掘削が進められたが、終戦をむかえ中断した。沿川3,000戸の農家は、春の融雪期や夏の集中豪雨のたびにいつも被災していた。新水路の完成は悲願だった。
昭和21年に治水事業として幾春別川捷水路計画が確定、24年にようやく通水をみた。しかし軟弱地盤などのため、旧河道の締切はなかなかできず、河道の拡幅が完了した昭和36年に完全に切り離された。旧幾春別川と利根別川合流点から下流部は、利根別川になった。
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上:幾春別川新水路掘削工事、下:人力掘削とベルトコンベアー運搬
(石狩川治水史より)、(江別河川事業所史より)
明治43年頃
- 捷水路で切り離された当時の幾春別川と幌向川
所在地
- 幾春別川新川橋から石狩川