82 オサラッペ川改修事業【札幌開発建設部】治水100年
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石狩川治水に係わる主な事業
82 オサラッペ川改修事業
国に代わって住民自らが行った治水
旭川市に隣接する、上川の米どころ・鷹栖町の中央を貫流する母なるオサラッペ川。原始河川のオサラッペ川は、流れの向きもわからないほど曲がりくねって流れ、洪水氾濫を繰り返し、農地に与える被害は大きかった。またこの洪水は、かんがい溝や農場から放出される水が、助長していたようだ。
このような事情があって、大正2年、沿川の北野地区が治水を要請し、北海道庁がオサラッペ川の調査をした。改修工事には巨額の工事費がかかることから、財政負担などをめぐって対立、まちが3村に分割する事態になった(鷹栖村、東鷹栖村、江丹別村)。
オサラッペ川の治水は、結局、村費ではなく、治水を願う住民達が鷹栖土功組合を設立して行われることになった。土功組合は、農業上必要な道路や用排水路などを、国の代行として行う自作農者による組織だ。大正9年から、ヨンカシュッペ川合流点付近から河口までの区間に、新水路を掘削し堤防を築設、大正15年に一応の完成をみた。昭和9年の河川法の改正にともなって、ようやく治水費として新水路の維持修繕が行われたのだ。
このような事情があって、大正2年、沿川の北野地区が治水を要請し、北海道庁がオサラッペ川の調査をした。改修工事には巨額の工事費がかかることから、財政負担などをめぐって対立、まちが3村に分割する事態になった(鷹栖村、東鷹栖村、江丹別村)。
オサラッペ川の治水は、結局、村費ではなく、治水を願う住民達が鷹栖土功組合を設立して行われることになった。土功組合は、農業上必要な道路や用排水路などを、国の代行として行う自作農者による組織だ。大正9年から、ヨンカシュッペ川合流点付近から河口までの区間に、新水路を掘削し堤防を築設、大正15年に一応の完成をみた。昭和9年の河川法の改正にともなって、ようやく治水費として新水路の維持修繕が行われたのだ。
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鷹栖町内を貫流して石狩川へ
(旭川開発建設部蔵)
明治43年頃
- 静福橋からの眺め
所在地
- 鷹栖町13線9号付近から石狩川合流点付近