101 牛朱別川分水路(永山新川)【札幌開発建設部】治水100年
石狩川治水に係わる主な事業
101 牛朱別川分水路(永山新川)
白鳥が飛来する治水と環境の両立
石狩川上流では昭和45・50年、そして56年に洪水に見舞われ、道北地域の社会経済活動が大打撃を受けた。これらの洪水を契機に、昭和57年、牛朱別川(うしゅべつがわ)分水路が建設されることになった。
牛朱別川の下流は昭和7年に切り替えられたが、新水路の川幅を広くとることができず、依然として水害の危険を抱えていた。そこで、今の牛朱別川では流すことができない洪水を、市街地に入る前の上流で石狩川に分流させる、長さ5.7kmの分水路をつくることに。昭和59年から工事は着工されたが、思わぬ珍客の登場で牛朱別川分水路は一躍知れわたり、計画をも変えさせた。工事中に、白鳥を中心に渡り鳥がたくさん飛来したのだ。その姿を見ようと、連日、たくさんの市民も訪れた。工事中には、洪水時以外は水を流さない予定だったが、水面を保ちながら進めることになった。名称も一般公募で「永山新川」になり、水鳥が羽を休める中州や、市民が水辺に近づけるように整備され、平成15年完成。治水と環境とを両立させた永山新川では、親水体験やおまつりが行われている。
牛朱別川の下流は昭和7年に切り替えられたが、新水路の川幅を広くとることができず、依然として水害の危険を抱えていた。そこで、今の牛朱別川では流すことができない洪水を、市街地に入る前の上流で石狩川に分流させる、長さ5.7kmの分水路をつくることに。昭和59年から工事は着工されたが、思わぬ珍客の登場で牛朱別川分水路は一躍知れわたり、計画をも変えさせた。工事中に、白鳥を中心に渡り鳥がたくさん飛来したのだ。その姿を見ようと、連日、たくさんの市民も訪れた。工事中には、洪水時以外は水を流さない予定だったが、水面を保ちながら進めることになった。名称も一般公募で「永山新川」になり、水鳥が羽を休める中州や、市民が水辺に近づけるように整備され、平成15年完成。治水と環境とを両立させた永山新川では、親水体験やおまつりが行われている。
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市街地に入る前の上流で石狩川に分流
(旭川開発建設部蔵)
昭和55年頃
- 永山新川は水鳥の楽園
所在地
- 牛朱別川の桜橋~石狩川永山橋