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開拓の歴史 - 北海道最初の試験農園「七重官園」

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開拓の歴史INDEX

  • あらまし

七飯町 北海道初の試験農業園「七重官園」の歩み

 日本近代化の夜明けをみた明治政府は、箱館奉行から箱館裁判所、箱館府と改め、明治2年(1869)7月に開拓使を設置し、えぞ地を「北海道」と改めました。
 
 その10年前、すでに安政6年(1859)の日本最初の国際貿易港として開港した函館港の発展により、本府を札幌に移しながらも、函館元町を中心に異国情緒あふれる街並みや暮らしが形成されていました。
 
 後に開拓使長官となる黒田清隆によって進められた「開拓使十年計画」では、アメリカ合衆国の農務局長ホーレス・ケプロンが招かれ、北海道全体の開拓について詳細な調査を開始され、その構想の一つに、農業試験所の設置と農業の育成が掲げられていました。
 
 そこには、本州と気候が異なる北海道は欧米の農法が適していると考えられ、東京・七重・札幌・根室に設けられた「官園」と呼ばれる試験農園で数多くの農作物栽培が試されていきました。
あらゆる産業振興に向けて ~酪農、果樹、草花栽培、製錬、製紙場の試み~
 明治4年(1871)12月、当初「七重開墾場」と呼ばれた場内に農家18戸62人が移住、翌年にも11戸49人がこの地を踏み、製紙の材料となる「こうぞの苗」の移植を始めました。
 
 明治6年(1873)になると、先に東京官園で洋式農業の方法を学んだ生徒たちが指導のために来道。アメリカ産の家畜が送り込まれ、場内の測量や家畜小屋の設営に勤しむかたわら、粉乳やバターの製造、アメリカ産の果樹や外国種の草花も植えられたといいます。
 
 明治8年(1875)には「七重農業試験場」と改められ、場長に米マサチューセッツ州立農科大学で学んだクラーク博士の教えを受け継ぐ湯地定基(ゆちさだもと)が着任。次いで、北海道酪農の父と呼ばれるエドウィン・ダンも訪れ、馬の改良について教授していきました。
 
 明治9年(1876)の明治天皇陛下の北海道御行幸を前に、再び名称を「七重勧業課試験場」と改められ、今も景勝地である国道5号にある「赤松並木」が植えられました。
 
 そして、養蚕や麻の生産や開墾のための規則の設置、農耕機具の売買も進められ、さらには農畜産物の加工にも取り組み、味も高く評価されたといいます。また、生産のほかに多種類の事業が展開されるにしたがい、各施設の充実化が計られ、洋風の水車場に製錬場、製紙場そして飼料の貯蔵所を兼ねた家畜房が次々と建てられたのでした。
 
 やがて、明治15年(1882)に「開拓使十年計画」が終わりを告げると、開拓使から三県行政へ、さらには道庁が敷かれ、「七重官園」も転換期を迎えました。官営となっていた施設が民間に払い下げされ、事業規模は縮小。はからずも七重村の生活に影響を与えたといいます。
 
 しかしながら、明治後期・大正・昭和と激動の時代を経ても、この大地に住む人々は、今も開拓精神が息づく大地として、揺るぎのない農業を育み続けています。

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