現在位置の階層

  1. トップページ
  2. 土地改良情報対策官
  3. 開拓の歴史 - 道南農業の歴史
  4. 開拓の歴史 - 北海道水田発祥の地【北斗市】

開拓の歴史 - 北海道水田発祥の地【北斗市】

開拓の歴史 - 北海道水田発祥の地【北斗市】

開拓の歴史INDEX

  • あらまし

北海道水田発祥の地 - 北斗市(旧大野町)

文月の野田作右衛門、蝦夷地で初めて米を収穫
碑文写真1
♪ハァー 黄金の波に 木地挽山も
 嬉しそうだよ あの空で
 北の日本の 水田づくり
 ここが初めての米どころ
碑文写真2
 「新大野音頭」にも歌われる、豊かな実りをが広がる大野平野。北海道水田発祥の地として知られる大野は、今も道内最大の稲作地帯として確かな歩みを続けています。しかし、ここに至るまでの背景には厳しい気象条件に耐え、人跡未踏の地に血と汗で稲作を定着させた先人たちの苦労が存在していました。
 
 稲作の起源には、年代順に寛文年間(1661~72)、貞享2年(1685)、元禄5年(1692)の記録が残されています。
 
 寛文9年(1669)、『津軽一統志』の記述によると「大野は戸数二十軒ばかり」とあり、当時の住民は馬で荷を運ぶ駄送や森林伐採、炭焼きなどを主な仕事として営み、畑作は営んでいても、あくまでも自給用に過ぎないものでした。また、寛文年間は松前藩主が文月と大野村の者に稲作を試みさせたというもの、次いで貞享2年の記録に記された文月村の高田吉右衛門の名前がありましたが、いずれも面積や収穫の有無は定かではありませんでした。
 
 そして、元禄5年(1692)。『松前志』の記録による「東部亀田にて作右衛門という者、新田を試みたが二、三年で廃止したり」から、昭和24年(1949)8月、道庁が文月に設立した「北海道水田発祥の地碑」には「作右衛門なる者四百五十坪を開伝し産米十俵を収穫した」と記されました。
 
 それまで大野村では、貞享2年説を採用しておりましたが、当時の渡島支庁が『松前志』の記述と村民の伝承に基づき、道庁に報告書を作成し元禄5年説を提出しました。南部の野田村から移住してきた作右衛門は、「人々の定着は米にある」として、この地を拓いたと伝えられています。蝦夷地のどこよりも古くから松前藩の御上田があったこと、文月の旧家・野田作右衛門という実在の人物が初めて米を収穫したという史実から、大野が水田発祥の地として認められ、碑文に刻まれるに至ったのでした。

お問合せ先

土地改良情報対策官

  • 電話番号:0138-42-7656

現在位置の階層

  1. トップページ
  2. 土地改良情報対策官
  3. 開拓の歴史 - 道南農業の歴史
  4. 開拓の歴史 - 北海道水田発祥の地【北斗市】