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釧路川

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釧路川

釧路川の姿

 釧路川は、北海道東部の太平洋側に位置し、その源を藻琴山(標高1,000m)など屈斜路カルデラの外輪山に発し、カルデラ湖の屈斜路湖から流れ出て、弟子屈原野を流れ、弟子屈町で鐺別川、標茶町でオソベツ川等の支川を合流し、釧路湿原に入り、さらに久著呂川、雪裡川等の支川を湿原内で合わせ、岩保木地点において新釧路川となり釧路市街地を貫流し、太平洋に注ぐ、幹川流路延長154キロメートル、流域面積2,510平方キロメートルの一級河川です。
 その流域は、釧路市をはじめとする1市3町1村からなり、釧根地域における社会・経済・文化の基盤をなしています。流域の土地利用は、山地等が約68%、牧草地等の農地が約21%、釧路湿原が約8%、宅地等の市街地が約3%となっています。流域内には、釧根地域の拠点である釧路市等があり、酪農業、水産業、製紙業、観光業等が盛んです。
 また重要港湾の釧路港、JR根室本線、JR釧網本線、国道38号、44号、241号、391号等の基幹交通施設に加え、北海道横断自動車道が整備中であり、交通の要衝となっています。また、上流の屈斜路湖などは阿寒国立公園に、下流の釧路湿原はラムサール条約登録湿地及び釧路湿原国立公園に指定されているなど豊かな自然環境に恵まれています。
 
  • 屈斜路湖 屈斜路湖
  • 釧路湿原 釧路湿原

流域の歩み

 釧路川の治水事業は、広大な原野や原生林の開拓とともにあり、低平地の洪水氾濫を減少させるほか、地下水の排水促進により土地利用を可能とするもので、捷水路事業を中心に進められてきました。明治23(1890)年及び明治32(1899)年には当時釧路川の支川であった阿寒川の分流工事が行われ、明治42(1909)年には、釧路港の機能維持のため築港事業として阿寒川切替工事が実施されました。また明治43(1910)年には、第1期北海道拓殖計画により釧路川治水設計調査が始まりました。
 本格的な治水事業は、既往最大の洪水である大正9(1920)年8月洪水を契機として実施されました。この洪水では、釧路湿原全域及び釧路市街のある湿原下流域1万2千町歩にわたって氾濫し、2,000戸以上の家屋の流出・浸水等の被害が発生しており、翌大正10(1921)年に、同洪水流量を安全に流下させるため河口で計画高水流量4万2千立方尺(1,170m3/s)とする改修計画を策定し、釧路市街のある下流部において現在の新釧路川となる新水路掘削とともに、川幅300間(545m)の釧路市街堤防工事、さらに幌呂川右岸堤防工事等を実施し、釧路川では、舟運が盛んであったことから、幣舞橋から別保川合流部において浚渫工事を実施しました。
 戦後、昭和22(1947)年9月及び昭和23(1948)年9月洪水を契機として、昭和24(1949)年に標茶地点で計画高水流量900m3/sとする改修計画を策定し、標茶・弟子屈市街のある中上流域において捷水路掘削、堤防工事等を実施しました。この頃より、昭和25(1950)年北海道開発法の制定による北海道総合開発計画に基づき、治水事業を推進するとともに、それによる日本の食糧生産基地としての流域の土地利用拡大を推進してきました。
 その後、昭和40(1965)年の河川法施行を受け、昭和43(1968)年に標茶地点で計画高水流量を1,200m3/sとする工事実施基本計画を策定し、河道の掘削、浚渫、堤防の新築及び拡築、護岸設置等を実施してきました。また、昭和59(1984)年には、下流部において釧路湿原による遊水効果を位置づけた計画としました。
  • 新釧路川の河口 新釧路川の河口
  • 新釧路川の新水路掘削箇所 新釧路川の新水路掘削箇所
  • 釧路川流域図 釧路川流域図

お問合せ先

釧路河川事務所

  • 住所:085-8551 釧路市幸町10丁3番地
  • 電話番号:0154-21-5500
  • ファクシミリ:0154-24-6839

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