13 花畔・銭函間運河【札幌開発建設部】治水100年
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石狩川治水に係わる主な事業
13 花畔・銭函間運河
運河の歴史を語り継ぐ
「札幌・茨戸間運河」とともに、札幌市街と銭函をむすぶために計画された「花畔・銭函間運河」は舟運重視でつくられた。石狩の花畔から樽川(樽川運河)へ、そこから札幌の山口を通って小樽の銭函に至る(山口運河)。途中、新川と交差する箇所は、新川の水位をせき上げ取水する方式で、3つの閘門と分水せきで調節したという。
新川をはさんで、銭函側は水量も豊富で輸送路として利用された。一方石狩側は、石狩川(現・茨戸川)の水位より運河の底が高かったため水量が足りず、砂地での水路の維持もむずかしかった。しかし水はけが悪かった土地の排水には大きく貢献した。この運河は現在、市民図書館の裏をはじめ大部分が残されている。山口運河は、手稲星置地区がまちづくりのシンボルとして保全・活用している。山口運河の一部は親水空間として札幌市により整備され、地域住民手づくりの「山口運河まつり」が毎年9月初旬に開催される。メインイベントの「運上船」は、子ども達が列をなすほどの大人気。山口運河の歴史は紙芝居にまとめ、わかりやすく伝えられている。
新川をはさんで、銭函側は水量も豊富で輸送路として利用された。一方石狩側は、石狩川(現・茨戸川)の水位より運河の底が高かったため水量が足りず、砂地での水路の維持もむずかしかった。しかし水はけが悪かった土地の排水には大きく貢献した。この運河は現在、市民図書館の裏をはじめ大部分が残されている。山口運河は、手稲星置地区がまちづくりのシンボルとして保全・活用している。山口運河の一部は親水空間として札幌市により整備され、地域住民手づくりの「山口運河まつり」が毎年9月初旬に開催される。メインイベントの「運上船」は、子ども達が列をなすほどの大人気。山口運河の歴史は紙芝居にまとめ、わかりやすく伝えられている。
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花畔・銭函間運河跡と旧石狩川の茨戸川
(石狩川の碑)
開拓初期
- 「山口運河まつり」で大人気の運上船
所在地
- 石狩市花畔~札幌市星置~小樽市銭函