4.農業用水を確保せよ - せきを造る(利水工事1) 1
4.農業用水を確保せよーせきを造る(利水工事1)(2)
(1) 米作りは開拓者の夢
十勝内陸開拓の始まりの一つとされる「晩成社」が入植したのは、明治16年(1883)です。そのころから、いろいろな人たちが米作りへのチャレンジをしました。
失敗の連続でしたが、明治26年(1893)士幌川の下流部の水田で成功しました。
その後十勝全体に広がり、昭和4年(1929)には1万ヘクタール以上もの水田が作られました。
今の池田町にある千代田地区や利別地区にも、このころ多くの水田があり、十勝川からも水を引いていました。
失敗の連続でしたが、明治26年(1893)士幌川の下流部の水田で成功しました。
その後十勝全体に広がり、昭和4年(1929)には1万ヘクタール以上もの水田が作られました。
今の池田町にある千代田地区や利別地区にも、このころ多くの水田があり、十勝川からも水を引いていました。
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(2) 水田に水を引けなくなる?
一方、自然のまま曲がりくねっていた十勝川は、明治、大正と大きな洪水をくり返していました。
そこで、池田町の千代田から豊頃町の茂岩まで、十勝川をまっすぐに流れやすくすることになりました。
しかし、川の流れが良くなると流れが速くなります。すると川底がけずられやすくなって、川の水も低くなります。
十勝川をまっすぐにすることで、千代田の取水場所での水が低くなることが予想されました。そうなると、水を水田へ引くことができなくなります。
そこで、池田町の千代田から豊頃町の茂岩まで、十勝川をまっすぐに流れやすくすることになりました。
しかし、川の流れが良くなると流れが速くなります。すると川底がけずられやすくなって、川の水も低くなります。
十勝川をまっすぐにすることで、千代田の取水場所での水が低くなることが予想されました。そうなると、水を水田へ引くことができなくなります。
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(3) 十勝川に千代田堰堤を造ろう
そこで、十勝川の川幅いっぱいに「千代田堰堤」を造ることになりました。
千代田堰堤には、2つの役目があります。
1つは、川をせき止めることで水面を高くして水を引きやすくする「せき」の役目。
もう1つは、川の流れをゆるやかにすることで川底をけずられにくくする「床止め」の役目です。
千代田堰堤には、2つの役目があります。
1つは、川をせき止めることで水面を高くして水を引きやすくする「せき」の役目。
もう1つは、川の流れをゆるやかにすることで川底をけずられにくくする「床止め」の役目です。